よーだの独り言 その2
この間まで郵便屋さんとして、郵便物の配達などをしておりました。臨時職員といえば聞こえがいいですが、契約が1日更新のバイトです。(「ゆうメイト」という言い方をします)
普通の人はどんな仕事内容なのか良く知らないと思うので、ちょっと紹介してみましょう。(ただし、2chの郵便板などをのぞくと、その地方・局によって、組織や仕事内容が多少違うようです。その点はご了承のほど)
さて、はがき・封筒を主として配達するのは「集配営業課」というところです。
いわゆる「ゆうパック」などの小包は、外務委託してるところも多いようです。
“営業”といっても、民間会社の営業を想像してはいけません。はたから見ていると、本務者(正職員)でも、営業活動をやってるなと思われる人は、ほんの一握りでした。
(まあ、知らないところでやってたのかもしれませんが)
なおさら、「ゆうメイト」と呼ばれるバイトさんたちが営業活動をやってるとは思えません。僕の場合だと、「配達するだけで精一杯」という感じでした。
でも、何かあるごとに、「ふるさと小包」売れとか、年賀状売れ、とかノルマが来るんですね。ゆうメイトにも来ます。バイトなのに。
( ;ω;)
で、しょうがないので自爆(自己購入)という、どこぞの訪問販売会社の社員みたいなことになるわけです。
組織としては、集配営業課(大きい局だと複数ある)の課長→課長代理→班、となります。班には、班長さん、副班長さんがいます。
班の人数はだいたい8〜10人くらいでしょうか。でも、シフト制で、交代で休みますので、全員一度に出るということではありません。
僕の場合は、日曜日が必ず休みで、残りの平日のうち、どれか一日休み(週によって、違う)でした。
驚いたのが、本務者の人たちの休みの多さです。どう見ても週休3日か4日あるんじゃないかと思いますが、これは年間何日休まなければならない、という決まりが労働組合とあって、それをこなすためだそうです(計画年休)。
つまり、忙しくて休みが取れないと、その分、後でたくさん「休まなければならない」ということらしいですが、民間会社しか知らなかった僕には理解不能です。
(あ、今は“民間会社”ですけど)
ついでに組織でいうと、課長さんの下に「課長代理」さんが、4人もいることも理解不能でした。
班は全部で4つしかないんですけどね。1班にひとり?では、班長さんは何のために?
まあ、苦し紛れのポスト設置ということでしょうか。
それでもって、この課長代理さんたち、全部とはいいませんが、能無しふさわしく無い人が多かったような。朝言った事と夕方言った事が違う、なんて日常茶飯事でしたね。
班長さんたちも、彼らの指示を半分無視したりして。組織としては非常にマズイ状態ではないかと思いました。
後でわかったのですが、この仕事をするにあたり、どこの班になるかで天国と地獄が決まってしまうみたいです。
つまり、面倒見が良い、親切な人が多い班だと、(当たり前ですが)非常に仕事がしやすい反面、変な人ばかりいる班に入ってしまうと、ろくに仕事も教えてもらえず、怒られてばかりで、みんなすぐ辞めてしまうというのです。
大きい組織の割には工場などでは当たり前になっている“仕事の標準化”がうまくいっていないように感じられました。各個人の能力頼みのようなところがあったのですね。
なので、現在JPS(ジャパンポストシステム・・・だったかな?)という、要はトヨタのカンバン方式を取り入れて効率化をはかろうとしていますが、イマイチうまく回っていないようです。
古くからある大きな組織のシステムを変えるというのは、やはり一朝一夕にはいかないようです。
それと、これはたまたま僕がいた所だけかもしれませんが、やたらヒステリー気質の人が多いように感じられました(笑)。
少しでも、自分の思い通りにならないと、大きな声を出して罵り合うのです。
確かに、こんな人はどこにでもいるものですが、ここでは10人に3〜4人ぐらいの割合でいるのですよ。だいたい、課長代理さんからして、そうなんですから。これには参りました。
ちなみに僕がいたところは、「新集配システム」というのをやっていまして(局によってはやっていないところもある)、ゆうメイトが普通の郵便物の配達に専念(そのわりに営業ノルマ来ますけど)、本務者がハンコの必要な書留(対面といいます)や営業の方に力を入れる、というものです。
でも、うまく機能していたかどうかはわかりません。将来このシステムも変わる可能性がありますし。
ということで、前置きが長くなってしまいました。
次回で、実際の仕事はどんな感じかを書いてみようと思います。
(2006.Augusut)
ゆうメイト(つまりバイト)は、契約によって、勤務時間が異なるのですが、僕の場合は朝8時からの出勤でした。でも、制服に着替えたりする時間もありますし、だいたい朝7時40分ぐらいまでは出勤するようにしていました。
ロッカーで制服(貸与してくれるのですが、ワイシャツなどでも1着しかくれないので、洗濯が大変でした)に着替えると、集配営業課のあるフロアへ行きます。
出勤簿にハンコを押して、所定の場所から自分の使用するバイクの鍵を取り、その印としてハンコを押します。給油する予定の時も、給油カードを所定の場所から抜き取ってハンコを押します。(業務終了後、返還の後、またハンコを押します)
それから、業務日報という小さな紙に自分の名前や番号を記入します。これは一日持ち歩いて、出発時・帰局時のバイクの距離計、作業時の時間などを記入、業務終了時に所定の場所に返すものです。
さて、この時点でその日の郵便物の量が目に入るのですが、普通郵便の配達の無い日曜・祝日の次の日は量が多いので、朝から鬱状態に陥ります。(月によっては、祝日でも普通郵便を配達する時があります)
で、ここも郵便局の変なところなんですが、その日の配達物が多いのを見て8時の定刻前に仕事にとりかかろうとすると、課長代理から怒られるのです。始業時間前に仕事を始めちゃいかん、と言って。
仕事の量が多ければ、始業時間など関係なく仕事を始めるのが常識だと思っていた僕にはちょっとしたカルチャーショックでした。最初は何の冗談かと思いましたよ。ホント。
これも、労働組合との絡みらしいですが、民間に移行したらどうなるんでしょうね?
(※しつこいですけど、今は民間です)
さて、8時になりました。郵便局の朝は、館内放送と「郵便体操」(ラジオ体操をアレンジしたようなもの)から始まります。
体操が終わったら、すぐにその日の郵便物の区分に入ります。区分棚といって、四角いマスがたくさんある棚に、自分の受け持ち区域の郵便物を区分けします。ひとマスだいたい○番地〜○番地の単位です。
でもって、この棚がですね、なぜか番地の順番に並んでいるわけではないのです。理由はわからないのですが、あちこち飛び飛びなんですね。
だから、最初のうちはどこがどこやら、さっぱりわからず苦労しました。もたもたして遅くなると、横から『遅い!』なんて怒られるし。( ;ω;)
ちなみに、この区分棚には、封書やハガキ以外に冊子と呼ばれるものもツッコミます。ダイレクトメールやカタログ類などですが、これがかさばって、重くて迷惑なんですね。
一応棚に全部入れると、今度はひとつひとつの棚にあるものを、配達する順番に並べ替えます。(これを組み立てといいます)
「ファイル」と呼ばれる、配達の順番を記した資料があって、それを見ながらやるのですが、ベテランの人は頭の中に入っているので、ほとんど見ないでやります。
見ないでやると、全然スピードが違うのですね。キーボード打つときの、タッチタイピングみたいなもんです。でも、新人がこれをやると、誤配の元となります。
で、これをやっている最中(だいたい9時前くらい)に、班ごとの朝礼があります。連絡事項などの打合せですね。工場なんかでよくやる、「危険予知訓練」なんかもやります。
だいたい朝礼は5分ぐらいで終わるのですが、たまに全体朝礼があります。さらに内勤も含めて体育館に集められ、局長様から、訓示をいただくこともあります。内容は、僕に言わせれば、何も朝にやらなくてもいいだろうというものが多かったです。
ブツの多い時にこれをやられると、非常に腹が立ちます(笑)。
勤めてみて、このような「無駄な集会」が多いような感じを受けました。ずいぶん非効率的なことをやってるな、と。
さて、組み立てが終わると、いよいよ現場に向って出発です。僕の場合、人より遅いので、この時点でだいたい9時半すぎになることが多かったですね。(´・ω・`)
担当地区についてしまえば、後はひたすら配達するのみです。その間は他人と口をきかなくてもいいし、結構引きこもりの人に向いてる仕事ではないかとも思います。(あ、半分冗談です)^^;
配達中困ること
1.雨や雪の悪天候
どうしても配達のスピードが落ちてしまいますね。郵便物が濡れないか非常に気をつかいます。
ビニール袋をかぶせたりするのですが、結局手が濡れてるものですから、多少は濡れるのですね。
雨の日に配達された郵便物が、多少濡れているのはカンベンしてあげてください。
その点、逆に雪だとあまり濡れないので気が楽です。かわりにバイクがコケまくりですが。
2.表札の無い家、アパート
一軒家はまだいいのですが、アパートの場合、転居届けも出さないで住人が入れ替わっていることが多々あります。
住所は同じなんだけど、この間まで配達していた人と違う名前だ、みたいな。
後、同棲してるとか、大家さんにナイショで同居してるとか、結構あります。
最終的に判断できない場合は、直接住人に確認することになりますが、そういうところに限って、昼間誰もいないんですね。
3.郵便受けやポスト口の無い家
信じられないでしょうが、たまにあります。誰か在宅だったらいいのですがね。
無人の場合は・・・・・詳しくは言えませんがムリヤリ配達してきます。
4.郵便受けに入らない冊子などがあるのに、住人が留守
3番目と似たようなものですが、ちょっとした冊子だと入らないぐらいの、やたら小さいポスト口しかない家があります。
なので、「ごめんください」とやって、直接手渡ししたりするのですが、誰もいない場合は、不在通知(通称マルツ)を置いて
くることになります。
当然ブツは持ち帰りで、バイクが軽くならずに鬱になります。
雨の日なんかだと、玄関先に放置してやろうかという衝動にかられます。
5.郵便物が多すぎてバイクが安定しない
やたら重いカタログ類などがあるんですね。これが大量にあるときは悲惨です。
走っててもバイクが不安定になってることがわかります。
夏はまだいいのですが、冬に道路が凍結状態の時は、いつコケてもおかしくない状態です。
で、一度コケると、バイクは重いし、道路はすべるし、なかなかバイクを起こす事ができません。
夏でも、うっかり傾斜のついた道路にバイクを停めると、バイクの自重でスタンドが外れ、倒れる時があります。
配達先のガラス戸付近でこれをやったらオシマイです。(僕はやったことありませんが・・・つうか、やりそうになった時はある)
6.宅配のメール便と間違われて文句を言われる
最近多いのです。
「別の家に郵便物が配達されていた」とか、「ポストに中途半端に入れられたので、郵便物が雨で濡れてしまった」とか。
クレームが来て謝りに行くと、まず95%ぐらいは、クロ○コとかのメール便なのです。
まあ、お客さんにしてみれば「郵便のようなもの」=「全部郵便局で配達しているもの」でしょうからね。
でもって、地区によっても違うでしょうが、僕の受け持っていた地区は比較的局から近いところだったので、予定のところまで配達できなくても、お昼に一度局に戻ります。
で、班長さんが状況を確認して、このままだと、午後に配りきれないだろうと判断したら、応援の指示など出してくれるわけです。
郵便配達用のバイク。実は50cc(原付)と90ccがあります。
ちょっと見た目には区別つかないですけど。
前の黒いカバンにハガキや封書、後ろの赤い箱に冊子などのかさばるものを入れます。
思いっきり積み込むとバランスが悪くなります。
よく新聞などで、「配達しきれずに郵便物を捨てた(隠した)」なんて事件の記事がありますが、仕事を始める前に、
「配達しきれなかったら、そのまま戻ってきていい」とか
「配達が遅いのは恥ではないから気にするな」
という指示を受けているはずなんですがね。
まあ、実際班の中で自分の配達が遅かったりすると、ものすごく居心地が悪いのはわかります。
でも、大事な郵便物を捨てたりするほどのことはないだろうと思うのですが。
きっと、そこの班、もしくは局全体の雰囲気が、「配達が間に合わないのは許されない」となっていたのでしょう。
まあ、捨てた本人が一番悪いわけですが、そんな雰囲気を作ってしまった上司の責任も多少はあると思います。
話がそれましたが、そんなわけで、午後に残りの郵便物を配達します。
このように、1人が受け持った地域を一日かけて配達するわけですから、当然その地域によって、配達される時間帯が違います。
昔は知りませんが、今は人手不足でやってますので、「何でうちには、いつも夕方しか郵便が届かないのだ」と言われても困ります。
大雪で道路事情が悲惨なことになった時期は、毎日郵便が、夜になってから届くという地域が出てしまいました。
僕のせいです。ごめんなさい。(^ω^;)
なお、時々、JA○やら、クレジットカード会社やら、NT○やらで、突発的に郵便物が大量に発生する時があります。
こんな時は、ケーハイ(計画配達のことだと、後で知った)を行います。
具体的には、それだけしか配達が無い家は、次の日の配達に回すということです。これらは、たいてい1日ぐらい配達が遅れても影響ないものですから。ただし、計配にするかどうかは、課長代理とか、上の人の判断になります。
もっとも、計配しても、次の日の郵便物の量が多いということもありますので、なかなか難しいところではあります。
さて、配達が終わって局に帰って来ても、それで終わりではありません。「事故付け」という作業が残っています。
これは朝の区分した段階で、住所不明な郵便物を処理するものです。
住所不明といっても、いろいろありますが、
・転居したもの
→転居届けが出ていれば、届出一年以内なら転居先のシールを貼って転送。
→転居届けが出てからすでに一年以上経過しているものは、差出人に還付。
→転居届けが出ていなくて、どこに行ったかわからない場合も還付。
・ずっと昔に町名・番地などが変更になっているのに、昔の住所を書いているとき
→運良く、それを知っているベテランの人が担当だったら、ちゃんと配達。
→昔のことなど知らない人だったら差出人に還付。w(こちらが正式のルール)
・住所はあっているが、名前がファイル(資料)と別人
→実際にそこの家に行って確認。
→何回訪問しても会えないときは、「このような訳で配達しますが、別人だったらこのままポストに投函してください」という
内容を書いた、所定の用紙を貼り付けて配達してくる。
・住所が不完全、あるいはデタラメなもの(これが一番多い)
→調べて、わかる範囲で配達。
→どうしてもわからなかったら、差出人に還付。
で、言っておきたいのですが、住所がいいかげんな郵便物というのが、いかに多いことか。
さらに、それらを見分けてきちんとした所へ配達するのに、どれくらい労力を使っているか、です。
たぶん、郵便を出す方としては、「少しぐらい住所が変でも届けてくれるだろう」という考えだと思いますが、それが、いかに郵便処理の効率化を妨げていることか。
郵便公社が完全に民営化したら、何より効率化を重視しますので、少しでも住所がおかしいものは、問答無用に差出人へ還付、となりそうな予感がしてます。
(2006.September)
お正月といえば、年賀状。
というわけで、今回はどのようにして年賀状が配達されるかお話しましょう。
12月も後半に入り、年賀状の受付が始まると、いよいよ郵便局内は臨戦態勢に入ります。
局によって違うでしょうが、僕のいた郵便局では通常の区分棚の他に、年賀状専用の区分棚が設置されます。
地区の区分棚はそれぞれ通路を挟んで背中合わせになっていますが、その通路に木製の専用棚が設置されるのです。
(だからこの期間、すごい窮屈になる)
そこで、通常の郵便物とは別に、年賀状が集中的に区分けされます。主にバイトの女子高生が担当します。
よくニュースなどで流れるバイトが仕分けしている風景は、実はこの前段階のものです。別のフロアでおおまかに分類された年賀状が、この通常業務のフロアに運ばれ、いわゆる「道順組み立て」がなされるのです。
「住所や氏名があいまいなものは、とりあえず寄せておいてください」とバイトに言ってありますので、バンバン寄せられます(笑)。つまり、それだけ住所・氏名がいいかげんなものが多いということ。
通常の郵便物に比べて、年賀状はとても住所などがいいかげんなものが多いです。
おそらく、去年来た年賀状を参考に宛名を書く場合、転記の際に誤記してしまった、あるいは古い年賀状を参考にしてしまった、などが考えられます。
とにかく、住所・氏名・郵便番号はきちんと正確に書くことをお勧めします。
不正確でも届く場合がありますが、手間がかかる分、配達が遅くなります。
なにしろ、ひどいのになると、○○市とだけ書いて、あとは名前だけ、というのもありました。書いた人は、本当にこれで届くと思っているのでしょうかね?
さて、このように処理された年賀状ですが、各家庭ごとに輪ゴムでとめられます。そして大晦日の夜に袋詰めされます。
サンタクロースが持っているようなデカイ袋ですが、だいたいの地域ごとにまとめられています。
これをどうするかというと、実は配達が始まる前の元日の早朝、地域ごとの拠点となる家庭に置いてくるのです。(前送といいます)
まあ、補給の為の前線基地みたいなもんだと思ってください(笑)。
考えればわかりますが、あんな大量の年賀状を、全部局からバイトの自転車に積んで持っていけるはずがありません。この前送してある家を拠点にして、配達するわけです。
いよいよ、年が明けて、年賀状が配達されます。
元日は前送から始まります。担当者2名一組で、軽ワゴン車に前日年賀状を詰めた袋を積み込みます。そして、前送先となる一般家庭に1〜2個の袋を置かせてもらいます。(だいたい7〜8箇所ぐらい)
この前送を頼む家ですが、郵便職員やOB、もしくは友人知人のお宅に頼むことが多いようです。前もって頼んでおくことが多いのですが、当日7時半ぐらいまでに訪問して、粗品(中身は知りません)^^; と一緒に「よろしくお願いします」と前送の年賀状を置いてきます。
後は、高校生のバイトくんたちが、配達してはその前送してある場所に行って年賀状を補給(?)してまた配達、と、これを繰り返すわけですね。
バイトはお昼すぎぐらいまでの契約なので、残りはゆうメイトや職員が配達することになります。
このように、通常の郵便とは別ルートの処理となりますので、普通の郵便と同じ感覚で出しても、思った日には届きません。
例えば、普通、差し出した次の日に届くとしても、年賀状はこのようにまとめるのに時間がかかりますので、どうしても2〜3日ぐらいはかかってしまいますね。
ですから、年賀状を出すさいには、お早めに。
・・・・・・といっても、もう遅いですね。来年の参考にしてください。
(2007.January)
少し前まで、大晦日といえば各テレビ局が競って格闘技の番組を放送するという、信じられない状況がありました。
さすがに今年(2007年の大晦日)は落ち着いて2局(TBSとテレビ東京)だけでしたが、もともと格闘技はマイナーなものだという思い込みがありますので(笑)、それでもすごいなと思うわけであります。
しかも、TBSの方は視聴率も14%取ってしまうのですから、時代は変わったというべきでしょうか。
テレビ東京で放送したのは「ハッスル祭り」ですが、残念ながらこちらでは系列局が無いので見る事が出来ませんでした。
ですので、今回はもう片方のTBSの番組について思ったことを書いてみたいと思います。
ちなみに、このTBSの番組ですが、実は二つの興行を混ぜて放送しています。
たぶん誤解している人もいるでしょうけれど、ひとつは大阪の京セラドームで行われた「Dynamite!!」、もうひとつは、埼玉のスーパーアリーナで行われた「やれんのか!」です。
「Dynamite!!」の方はK-1主催、「やれんのか!」は、例のヤーさん絡みの事件で事実上空中分解してしまった“PRIDE”のスタッフ有志&選手たちが行った興行です。
この二つをTBSが合同興行のような形で放送したわけです。
よく見ていれば、リングとか観客のノリの違い(笑)などでわかります。格闘技に詳しい人だったら、選手の顔ぶれを見て気付いた人もいるでしょう。
(ちなみに、「ハッスル祭り」と「やれんのか!」は同じ31日に同じスーパーアリーナで昼からと夜から、それぞれ時間をずらして行われました)
先にお断りしておきますが、僕も番組を全部見たわけではありません。そもそも最初の1時間半は過去の試合と番組宣伝だけでしたから(TBSもいいかげん、この詐欺みたいな番組構成は止めたほうがいいと思います)、パス。
その後も半分ぐらいは紅白歌合戦を見てましたから(苦笑)
さて、僕が見たかった試合はただひとつ、「Dynamite!!」の桜庭和志vs船木誠勝の試合のみ。
結果はチキンウィングアームロック(懐かしい)で桜庭の勝ちでしたが、つくづく、ふたりが最盛期の頃に戦ってもらいたかったです。船木の7年のブランクは少し厳しかったですね。
いくら練習しても、試合感覚というものはどうしようもないものでして。
でも、いかにも“武道家”の試合という感じで、良かったです。
世間的には、田村vs所、魔裟斗vsチェ・ヨンス、ボブ・サップvsボビー・オロゴン、山本“KID”徳郁vsハニ・ヤヒーラ(以上、「Dynamite!!」)ヒョードルvsチェ・ホンマン、秋山成勲vs三崎和雄(以上、「やれんのか!」)などのカードが注目されていたようですが、だいたい結果が見えていたので(一部、マッチメークに異議あり)、ふーんと思いながら(笑)見ていました。
ただ、秋山と三崎の結末は読めなかったですね。グダグダの判定になるかと思ってたんですけど、スッキリ決着がつきました。
その秋山についてなんですけど、復帰させるのはちょっと早すぎたような気がします。例のヌルヌル反則はちょっとひどすぎたし、認めてはいないといえ、ヌルヌル以外の疑惑も指摘されています。
何より柔道時代から何かと悪い噂が立っているとすれば、本人の資質にも関係あるのではないでしょうか。
そこで、例によってテレビ局側の思惑です。
たぶん、TBSの秋山に対するスタンスというのは、あの亀田一家と同じではないかと思うのです。
つまり、自分のところで“スター”を抱え込みたいがゆえに、多少強引にでもスターを作り上げてしまおうという姿勢です。
秋山のキャラが作られたものかどうかは知りませんし、ましてTBSが反則をしてまでも・・・と、そそのかしたとは思いません。でも、TBSの姿勢が明らかに秋山寄りだったのは確かだと思います。
他の試合のハイライト場面は放送したのに、秋山vs三崎は無し。
時間に余裕があったにもかかわらず、試合後の三崎のマイクパフォーマンスはバッサリとカット。
・・・なんだそりゃ、です。
で、なんでTBSがそんなにも秋山の肩を持つのかというと・・・・・自重します(笑)。
ネット上でTBSの現状について色々と噂が立っていますけど、自分は直接TBSの人に聞いたわけではないので。
試合の関係ないところで変に煽るのもどうかと思いますしね。
でも試合そのものはスッキリ決着だったので、まあ、良しとしましょう。
・・・と、ここで終わりたいところですが、このいい試合を台無しにするような、KYな発言(笑)をするところが出てきましてね。
それが、試合とは直接関係無い某国の「中央日報」という新聞なんです。
いや、ネット上や飲み屋で、個人が話すならかまいませんよ。でも、れっきとした新聞が、“言いがかり”としかいえないような記事を書くものですから、いやはや。
いわく、「負けた人間に礼をつくさない日本人」とか、「人種差別をされた」とか、「三崎の最後のキックは明らかに反則である」とか、例によって被害妄想からくる捏造記事です。
秋山は確かに日本国籍を取ったけど、いわゆる在日です。でも、それは試合とは何の関係もないでしょう。
秋山が非難を受けているのは、有り得ない反則行為によってであり、在日の差別云々はまったく関係ありません。
それなのに被害者意識に凝り固まった隣の国が、何の関係も無いのにしゃしゃり出てくるとは、これいかに。
だいたい、スポーツにおいて、いつも「敗者をバカにした」り、「平気で反則行為をする」のは、いったいどこの国の人間かと、小一時間(ry
ちなみに、最後のキックは反則〜4点ポジション(両膝・両手がマットに着いた状態)でのキック〜ではないと思います。
微妙ですが、秋山が起き上がろうとして、手がマットから離れた瞬間に蹴られたように見えます。
レフェリーの人もブログで「あれは反則ではない」と断言してましたね。
思うにあれは、秋山がまだ総合のルールを体で覚えてなくて、無意識に立ち上がろうとしたから、キックを入れられたんですね。そのまま何秒かマットの上で亀状態になれば、決定打を浴びなくて済んだはずです。
ちなみに、コレが試合の動画。(もしかしたら、削除されてるかもしれません)
三崎VS秋山【動画】 (スポーツナビのブログより)
で、コレが試合後のマイクパフォーマンス。TBSが全部カットしたやつですが、何でこの内容でカットするのかわかりません。
TBSがカットした三崎VS秋山試合後の公開説教【動画】 (スポーツナビのブログより)
どっかの新聞記事と違って、三崎は秋山のことを認めています。逆に、三崎がマットに座って礼をしているのに、秋山がふてくされているようにも見えます。
マイクパフォーマンスで、「日本人は強いんです」は微妙な感じですが、これはいつもの三崎の決め台詞なんですよ。
いつもの通りに口にしただけで、それほど深い意味は無いと思います。
(2008.January)
追記
この記事を書いた次の日、動きがあった。
三崎に「反則」の可能性、秋山と再戦か (日刊スポーツ) という記事なのだが、一部抜粋して紹介すると、
大みそかを沸かせた三崎−秋山戦が再戦となる可能性が出てきた。
FEGを主催する谷川貞治イベントプロデューサー(46=EP)は2日、「やれんのか! 大晦日! 2007」で三崎和雄(31=GRABAKA)が秋山成勲(32=フリー)にKO勝ちした試合について「反則と取られてもおかしくない」と明言、調査開始を決めた。勝負を決めた三崎の顔面へのキックが放たれた時、ダウンしていた秋山が頭部への蹴りが禁じられている「4点ポジション」だった可能性があるため。秋山陣営も提訴する方向で、再戦案が急浮上した。
(中略)
谷川EPは「まず調査が先」と話すにとどめたが、関係者の間からは早くも再戦の声が上がっている。秋山が完全なアウエー状態で戦ったことから、秋山の主戦場のHERO’S、もしくは秋山の祖国韓国が再戦会場に挙げられている。
・・・ もう一回書くが、僕が見た限りでは、あれで反則が成立するとは思えない。
それに、なぜ再戦?しかも、なぜ韓国?秋山はもう日本人なのに。 (もっとも、本人自身「柔道のためだけに帰化した」とか言ってるし、帰化したあとの韓国での試合でも、マイクで「わが韓国最高!」なんて言っちゃってるし)
だいたい、いくらプロデューサーでも、谷川氏にルールに口をはさむ権限は無い。 (ルールに関する委員会がある)
もし、これで谷川プロデューサーが強引に屁理屈を付けて韓国で再戦を決定するとしたら、韓国マネーに目がくらんだと判断する。
TBSに関する例の噂も本当だと判断する。
もうK−1は見捨てる。 ハッスルでも見ていたほうが、楽しくてよっぽどいい。
追記の追記
結局、三崎対秋山戦は無効試合になったらしい。
ただ、「レフェリーの判断が、その時点では妥当であった」としながら、「ノーコンテスト」って、なんだよ、そりゃ。
裏での政治的配慮がミエミエ。当然格闘技ファンからは批判続出だ。
一時的には再戦絡みで興行的にはおいしいかもしれないが、長期的にはこんないいかげんなことがまかり通っていたら、誰も見なくなる。
とりあえず、俺はこのトップ連中が仕切る興行はもう見ない。
そもそも「やれんのか!大晦日!2007実行委員会」高田延彦統括本部長は「何の問題もなし」としているのに、谷川イベントプロデューサーが秋山陣営に抗議文を提出するよう進言していたとのこと。
その他、色々な言動から谷川はあからさまに秋山陣営に肩入れしてるとしか思えないような節がある。もっとはっきり言ってしまうと、この連中は韓国マネーが欲しいだけなのだ。
そこには、一番大切にしなければならないファンのことなど、一顧だにしない姿勢が見て取れる。
島田裕二は7年前あまりにファンをないがしろにしたことで、ネット上(まあ、主に2chですがw)で袋叩きにあっている。
変な対応をして煽った形になり、当時所属していたインディー団体の掲示板が炎上してしまった。
この時も、島田の姿勢はファン不在であった。
21世紀になったというのに、旧態依然として格闘技界では胡散臭い連中が幅を利かせているのが悲しい。
(2008.February)
なかなか忙しくて映画を見るヒマがなかったが、ようやく「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見てきた。
言わずもがな、あの「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編である。
初めにお断りしておくが、僕はこの映画に続編はいらないと思っていた。
一作目があまりにも完璧に完結しており、このラストシーンを越えるものを作るのは不可能だろう、と思っていたからだ。
「続」を見た今も、その考えは変わらない。
さて、一作目を初めて見て感じたことは、「よくもまあ、上手に(原作を)つなぎ合わせたものだ」だった。
ご存知の人も多いだろうが、原作は膨大な短編からなる群像劇である。 だから、2時間の映画にまとめるとすると、いったいどうするのだろうかというのが、映画化を知ったときの感想であった。
で、実際に見たらこれが見事な神編集だった。 原作のエピソードの設定人物を変えたりしながら、見事に一本の物語として成立させていたのだ。
今回の「続」の方も、原作からたくさんのエピソードを取り込んでいる。 ただ、惜しむらくは一作目に比べて、多少そのエピソードが消化不良の感じを受けた。
一作目は、個々のエピソードがラストシーンに向かって見事に収束してゆく心地良さ(=カタルシス)があったのだが、今回はいまひとつであった。
思うに原作のエピソードを詰め込み過ぎたのかもしれないが、『自分が脚本を書いたのなら、このように話をつなげて、このように展開していったのに・・・』なんて客に思わせてしまっては、いけないと思う。
特に、鈴木オートの社長とトモエ母さんの戦争がらみのエピソードはもう少し丁寧に扱って欲しかった。
原作ではそれぞれ珠玉の一編だったのだが、映画では中途半端な余話に堕してしまっている。(たぶん尺の関係でカットされたのだろうが)
あれだったら、無理に取り込まなくても物語としては成立したのではないか。
逆に、一作目を見たときにも思ったのだが、キンおばあさんのエピソードは入れて欲しかったと思う。
まあ、いろいろ書いてきたのだが、決して出来の悪い映画ではない。 むしろ、出来はかなり良い方だろう。不満が出てしまうのも、すべては一作目が神がかった作品だったからである。
一作目に比べて二作目が厳しい目で見られるのは宿命なのである。
ゆえに、それから考えたら、「続」はかなりうまく作った、成功の部類に入るだろう。
何よりも、「PART2」ではなく、「続」としたことである。
この映画は続編をまったく考えていなかったことは周知のとおりだが、一作目を見た多くの観客からの「あの後、三丁目のみんなはどうなったんだろう?」という声に、敢えて答えてくれたものだと思う。
だから、「2」ではなく「続」なのである。
一作目と二作目は、ひとつの物語の前編・後編ととるべきだ、という意見もあるが、僕はむしろ、(こういう表現は失礼かもしれないが)「続」は一作目のエピローグととるべきだと思う。
先に書いたように、物語の“形”としては、一作目で完結している。
「続」は一作目に心動かされた人たちへの豪華なプレゼントなのだと思う。
だが、だからといって、作品的に劣るとは決して思わない。 むしろ、誰がやっても作りづらい続編をよくまとめたものだと思う。
ただ、手法として、一作目でのワンシーンを、登場人物を変えて画面に取り込むなど、凝った小ネタをかなり使っているし、一作目を見ていないと、よく理解できないシーンがあったりもする。
なので、もし「続」を見に行くのなら、(見ていない人は)一作目をDVDなどで一回見てから映画館に行くことをおすすめする。
最後に一言、アノ秀逸なオープニングを見せてくれた山崎監督には、ぜひ、ゴジラ映画を一本撮って欲しい(笑)。
(2008.January)
録画したまま見ることができずにいた『時をかける少女』(06年のアニメ版)をやっと見た。
そもそも公開時の封切館数が冷遇されていたので、興行成績そのものは伸びてないが、Yahooの映画レビューなどではやたら評判が高かったのは記憶にある。
見た人はわかると思うが、この作品は原作とは趣の違う、SF的手法を取った“青春映画”である。
本音を言うと、実は青春映画というのは大の苦手である。さらに、それに男と女が絡んでナンタラカンタラというのは、もっと苦手である。だから録画しながらなかなか見なかったワケであるが。
さて、個人的感想なのだが、
率直に面白かった(笑)。
まったく期待していなかったせいもあるが、かなり良質の青春映画に仕上がっていたので少し驚いた。
何せ、この僕が結局最後まで引き込まれて見てしまったのである。
声優に有名タレントなどを使わなかったのも好感がもてる。
演出だとは思うが、抑揚を抑えた台詞回しがこの“絵”とストーリーに見事にはまっていた。
他のアニメのように大仰な台詞をやられたら、逆にリアルさが損なわれて白けてしまったかもしれない。
最初に『原作とは・・・』と書いたが、確かに筒井康隆の小説が原作として、クレジットされてはいる。
が、かなり内容を変えているし、設定としては実写映画版から20年後の続編になっている。
(なんで20年後なのかというと、原作及び実写映画版の主人公である芳山和子が主人公の叔母として、30代後半の設定で出ているから)
青春映画というと、自分の歳になるとなかなか感情移入しにくいものだが、それが最後まで引き付けられたということは、構成が上手だったこともあるだろうが、「現代風」を装いながら内容はいつの時代も変わらない不安定な十代の心理を中心に据えていたのだからと思った。
実際、見ていて自分の高校時代と比べ、ほとんど違和感は感じなかった。(あくまでも内面の話)
人間、根本的な心の部分は何十年経とうが変わらないのだろう。
何よりも、この映画を見た後に、心に甦って来た感覚が、それを証明している。
あの、切なさとほろ苦さと不安と希望とすべてがないまぜになった“あの頃”の感覚だ。
この映画についての批評を見るとき、“今の時代における『時をかける少女』”であることが強調される嫌いがあるが、以上の理由により、僕はまったく真逆の感想を持つ。
ちなみに、青春映画としてはかなりの完成度だと思うが、その分SF的整合性は犠牲にされている。
だからSFとして見た場合は突っ込みどころが多々あるのだが、この映画の場合は瑕にはならないだろう。
(2008.April)
三大シェー
漫画家の故・赤塚不二夫先生(1935−2008)が生み出した数あるギャグの中でも有名なものに「シェー」がある。
テレビでドキュメンタリー番組を放送していた際も触れていたが、昔、誰かれかまわず「シェー!」とやっていたものだった。
当然、有名人なんかもやっていた訳であるが、意外な人もやっており、これを称して「世界三大シェー」(笑)と言っている。
(自分が勝手に言っている訳ではなく、本当にそう呼ばれていたのである)
で、その3人とは誰かというと、ゴジラ、ビートルズのジョンレノン、浩宮親王(現皇太子の徳仁親王)である。
だいぶ昔の事だし、もう写真なんか残ってないだろうと思って画像検索してみたら・・・・・あった。(;゚∀゚;;)
インターネット恐るべし。(^ω^;)
ということで、その3人(2人+1匹)の写真を載せておきましょう。
著作権云々は見逃してください(笑)。
ゴジラ | 浩宮親王 | ジョン・レノン |
なんつーか、ジョン・レノンの足の上げ方がイマイチなんですが、これは本人自ら望んでやったんでしょうか、やらされたんでしょうか?
(2008.October)
裁判員制度について
いろいろな意見がある裁判員制度だが、私見をひとつ。
そもそも、なぜこの制度が提案されたかを考えてもらいたい。
裁判の判決であまりに世間の常識とずれたものが問題となり、それならば一般市民の意見も取り入れようと考えたのが、そもそもの始まりでなかったのか。
裁判員制度に反対する人たちの意見にこのようなものがある。
>都内の男性会社員(65)は「(候補者が実名を公表することなどは)違反と知っていたが、素人が審理しても意味がない。反対の声を大きくしなければと(今回)参加した」と訴えた。
いや、素人の意見が必要だというのが、そもそもこの制度の趣旨である。
「素人が審理しても意味がない」とは、ある意味危険な考え方でもある。
政治家以外の人間は政治を語っても意味が無い(だからだまって従え)。
この人は、このような考えの人なのだろうか。
>候補者通知を開封せずに送り返したという千葉県の無職男性(65)は「死刑や無期懲役という重大事件を裁くことは心に傷を残す」
これも、専門家だって心に傷を残すことには変わりない。
イヤな事は他人に押し付ければよい、という身勝手な考え方の持ち主なのか、と勘繰ってしまう。
>千葉県のコンサルタントの男性(63)は「職業によって参加が義務だったり、そうでなかったりするのはおかしい」などと語った。
この人はそもそも制度そのものを理解していないのでは?
こんな言い方をするのは申し訳ないが、総じて自己中心的な甘えがその意見から垣間見える。
このような人たちが存在することによって、一番喜ぶのは誰か?
面倒なことには口を挟まず、ただすべてを専門家(お上)に任せてくれる無気力な国民を喜ぶのは誰か?
そもそも、告知期間が長かったにも関わらず、つい最近になって反対運動を行う団体が出てきたのは何故か?
2年も前から告知していたのに、なぜ早い段階で反対意見を出して議論を行おうとしなかったのか?
自分も裁判員制度の啓蒙に関わっていたから分かるが、表だって反対する声はつい最近まで聞こえてこなかったのである。
マスコミも中立のフリをしながら、反対する人たちの声を大きく取り上げているような感じを受ける。
これは印象操作なのではないのか?
もちろん、この制度に反対する人たちの主張は主張として認めるが、自分はこう考えるということ。
(2008.December)
「天使と悪魔」を見る
この映画、映画としては「ダ・ヴィンチ・コード」の続編だが、原作ではその前のエピソードにあたるらしい。
だから、「ダ・ヴィンチ・コード」を見ていなくても、「主人公がバチカンから嫌われてるらしい」ということだけ頭に入れておけば、まったく問題なく楽しめると思う。
僕は原作を読んでいないのだが、かなり映画向けに原作を改変している模様だ。
原作のイメージを大切にする人は不満かもしれないが、きちんとまとまっているから、これはこれで良いと思う。
レビューを見ると、「前半の蘊蓄部分が(前作同様)つまらないが、後半は手に汗握る展開でとても面白い」という意見が多数派であるようだ。
でも、僕の感想は逆で、後半は確かに面白いのだが、それ以上に前半の理屈っぽいところが大好きである。
むしろ、何でここをもっと深く掘り下げないのか、と(笑)。
この映画の場合、小道具ひとつ取ってもすべて象徴的な意味がある。
一例を挙げれば、なぜリアリティのある通常の核爆弾ではなく、反物質を登場させたのか。
これは、宗教に対する科学の復讐というのがテーマのひとつだからこそ、ただの爆発ではなく、ビッグバンを想起させる反物質の対消滅による爆発でなければならなかったのだ。(と思う)(^ω^;)
イルミナティに関しては、何か“復讐する悪の秘密結社”みたいなイメージを受ける作り方をしている。
でも、調べれば分るが本当はちょっと違う。バチカンに遠慮したのかね。
(バチカンが弾圧した歴史もきちんと言及してますが)
ネタバレになるので詳しく書けないのだが、ラストは3段オチぐらいの感じである。
伏線に注意していないと「えっ!?」ということになる。
逆に疑り深い人だと、ラストを想像できるかもね。
なにせ、オビ=ワン・ケノービが(ry
さて、最後はそうきたか、という感じだが、原作だとなぜそうしたかという、もう少し詳しい事情説明があるようだ。
確かにアレだと唐突な感じを受けて、真意が分りづらいところはある。
ちなみに、見ている間はバチカンロケを決行したんだと思っていたが、噂によるとほとんどセットとCGらしい。すげーな。
エンドロールの最後に、テレビドラマでよくお目にかかる「この話に出てくる登場人物・団体は架空の〜」のテロップが出て笑った。
日本人が想像する以上に、キリスト教社会でこんな映画を作ってしまうのは物凄いことなんだろうね。
あともうひとつ、音楽が素晴らしい。
映画における音楽というのは非常に大事なものだと再認識した次第。
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それにしても、ラストの、枢機卿が主人公ラングドン教授に語る名セリフ、
『宗教には欠点がある。それは(宗教を生み出した)人間に欠点があるからだ。』
には感銘を受けた。
まさにその通りだと思った。
「宗教は民衆のアヘンである」とカール・マルクスは言った。
確かにそれは正しいと思う。
だが、時と場合によっては、麻薬は治療に欠かせない、絶対に必要なものなのだ。
偉そうな事を言うが、これが僕の宗教観。
(2009.May)
「サマーウォーズ」を見る
「時かけ」はフロックではなかった。
あの「時をかける少女」の細田守監督が初のオリジナル劇場作品として世に出した「サマーウォーズ」。
オリジナル作品でわずか127scr公開であるにもかかわらず、秋になってもロングランが続く大健闘を見せている。
遅ればせながら鑑賞させてもらったが、確かに期待を裏切らない出来であった。
そのうちテレビでもやるだろうが、アニメを映画館で見るのは敷居が高い、と感じている食わず嫌いの人も機会があればぜひ見て欲しい。
ただ、「時かけ」とほとんど同じスタッフの作品ではあるが、テイストはかなり違う。
何というか、「時かけ」が青春の甘酸っぱさ、切なさを体現しているとすれば、「サマウォ」は(大)家族の絆がテーマといったところか。
ストーリーはネット上にある「OZ」という“成功したセカンドライフ”(笑)みたいな場所で異変が起きたところから始まる。
(後はネタバレになるので自粛)
監督の出世作であるデジモンの焼き直しだという人もいるが、これについてはそもそもデジモンを見てないから何とも言えないのだが、自分の作品だったら、そのテーマを追求するのはよくある話だから、別に問題無いと思う。
ところで、この映画では『インターネット』と『花札』がポイントになっている。
自分はどちらもよく知っているから非常に楽しめたのだが、これらに疎い人が見た場合の評価を聞きたい気はする。
ストーリー上のキーワードである『アカウント』とか『アバター』とかの単語が何の説明を無くポンポン出てくるし。
まあ、それほど詳しくなくても十分楽しめると思うが、知識があった方が、よりストーリーを楽しめるかなと思った次第。
もっとも、どんな映画でもそうだけど、よくよく考えると何か変だな?というのは確かにある。
OZ内で格闘している時に、なんでコントローラ使わないのか?とか。
もしかしたらタイピング練習形式の格闘ゲームかもしれないけど(笑)。
惜しいのは夏希先輩のキャラで、あれじゃあ、ちょっと薄っぺら過ぎる。
その他ストーリー上、矛盾と感じられる所やご都合主義に過ぎるのでは?と思った点が無いわけではない。
だが、物語性に優れた作品はみなそうであるように、映画を見ている最中にそれらの欠点は、さほど気にならなかった。
もっとも、コミカライズやノベライズでは、その細々したあたりは、きちんと説明がなされてフォローされている模様。
映画は尺の関係でどうしても(狙っている場合は別として)設定などが説明不足になったりする場合があるが、それをうまく“こなし”てこそ名監督だと思う 。
それが出来る人だと思うから、これからに期待したい。
まあ、他にケチつけるとしたら、山下達郎のEDの曲か。 (ファンの人、ゴメン)
良い映画というのは、必ず音楽が耳にこびりついて離れないものだが、もうどんな歌だったか記憶にない(笑)。
本人は否定するだろうが、どうせアニメだとか思って、手を抜いて作ったんじゃないのか?
この曲が良いという意見もかなり聞くが、すまん、俺にはどうもピンとこない。
単に山下達郎が合わないだけかもしれんが(笑)。
嫁は好きなんだけどな。(^^)
(2009.Oct)