よーだの独り言 その3


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1.「アバター」を見る

2.ヤマタイカ

3.「けいおん!!」ライブイベント

4.短編作家としての小松左京

5.映画「けいおん!」レビュー

6.映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」レビュー

7.【追悼】レイ・ブラッドベリ





   

「アバター」を見る  

 3D映画のエポックメイキングとなるか

  話題作でもあり、一応見て来た感想など。

 映画や小説など、作家の手を離れてしまえば、後はある程度受け手の勝手な解釈も許される、というのが僕の持論なのだが、それに沿って言えばこの映画は“共生”がメインテーマと受け取った。

 それは人間同士のそれであり、異種生物間でのそれであり、自然とのそれである。
 だから内容が「まんま、『もののけ姫』じゃん」なんて感想も出てくるわけだ。

 確かに宮崎作品のどっかで見たシーンのオンパレードのような気もするが(笑)、単なるパクリなどでは決してない(と思う)。
 まあ、キャメロン自身が宮崎監督の大ファンであり、物語の最後に『もののけ姫』へのオマージュシーンがあると自分で言っているけれども。

 それについては、鑑賞中よくわかんなかったけど、あのシーンかな?(ネタバレになるので自粛)

 
 とりあえず物語の構造自体は王道(ベタ)である。 主人公は大人だが、普遍的な、少年が成長する物語と同じ構造を持つ。
 当然、父親役や母親役に該当する登場人物もいるわけだが、まあそれは見て判断して欲しい。

 で、この映画の場合、主人公がそのまま成長する訳ではなく、「アバター」という別の体を使って成長するというのが、少し捻ってある。
 神話によく出てくる「死と再生」のモチーフが隠されていると直感したが、実際(以下ネタバレ自粛)

 最近じゃよくあるけど、タイトルがエンディングに出てきたのもそういうことなんだろう。

 ついでに言えば穿ち過ぎかもしれないが、タイトルの「アバター」は死んだ双子の兄さんにもかけているとも思った。


 この映画で公開前によく言われたのが、あの猫と爬虫類のハーフみたいな原住民(&主人公のアバター)に感情移入出来るのか?ということだ。
 この点をとらえて、興業的にコケるのではないか、といった意見もあった。

 だが、安心して欲しい。

 あんな薄気味悪い原住民のみなさんが、映画を観終わる頃にはすっかり違和感なく、族長の娘のネイティリなんかは可愛いとさえ思えてくるだろう。
 へたすると人類の方が気持ち悪く思えるかもしれない。

 ここらへんは間違いなく監督が計算しつくした演出であり、そのように観客の感情を持っていく監督の手腕なのだろう。

 つまり、どっかの映画批評にもあったが、『「最初は気味の悪い、絶対友人になどなれないだろうと思った異民族」と、「あれれ、相手を知るようになったら 意外といいやつだった」と感じられる「疑似体験」ができるようになっている』のだ。

 この手法は、これまた物語の王道である。

 せっかくこれだけの映像なのにストーリーがベタである・・・と批判的な人たちがいるが、逆に、これだけの映像だからこそ、ストーリーは王道を行く必要が あったのではないかと思える。
 それに、王道ストーリーをきっちり画面に再現するというのは、実は余程の才能が無ければ出来ないことでもあるのだよ。

 思えば「スターウォーズ」の第一作(EP4)はなぜあれほど驚嘆を持って受け入れられ、大ヒットしたのか?

 ストーリー自体はそれこそベタなスペースオペラである。
 小説では幾度となく繰り返し語られてきた陳腐な物語だ。

 だが、あの映画の凄さは、小説で読み、想像するしかなかったドッグファイトを『実際に映像として見せてしまった』事につきると思う。

 映画とは物語と同時に、その映像も同価値として評価されるべきものなのだ。

 「スターウォーズ」は映画のエポックメイキングとなった。
 「アバター」も同じような位置付けをされる日がくるように思える。


(2010.Feb)




   

ヤマタイカ  

 日本人にとっての祭り・マツリ

 日記に祭りの事を書いていて思い出したのですが・・・・・

 僕の好きな星野之宣の漫画に「ヤマタイカ」という伝奇SFがあります。

 もう20年前の作品で、マイナー誌の掲載だったので知らない人の方が多いかと思いますが、これは間違いなく代表作のひとつだと思います。

 邪馬台国の時代から現代に続く「火の民族(縄文人)」と「日の民族(渡来系弥生人)」の対立を描き、「日本」という国、民族の本質に迫ろうという野心作です。
 機会があったら(たぶん書店には無いと思うので)古本屋かマンガ喫茶あたりでご覧下さいませ。

 で、何が言いたいかというと、この作品では「ヤマト」という言葉とともに、「マツリ」という言葉が重要なキーワードになっています。

 作品中、土着の原日本人である火の民族は、古来より定期的に「マツリ=踊狂現象」を引き起こしてきた、というくだりがあります。

 踊狂現象とは、仕事や家庭も放り捨て、熱狂的に踊り狂いながら練り歩くというものです。

 “記録”に残る最初の「踊狂現象」は、644年の「常世の神事件」ですが、以来定期的にこの種の「マツリ」は繰り返されます。
 一番分かりやすい例は、教科書にも載っている江戸時代末期の「ええじゃないか」でしょうか。
 あれが典型的な「踊狂現象」です。

 この仮説は関連して自然災害にも言及します。
 このような事件が起きる時には、なぜか決まって火山の噴火・地震が付いて回るといいます。(このあたりは全部本当)

 作品中では、この点について、太古から火山列島に住み続けた火の民族の記憶が精神状態を大地の震動と共鳴させているのかもしれない、という仮説を提示していますけれど。


 いずれにせよ、「原日本人(火の民族)の血」は定期的に「マツリ」を引き起こさずにはいられないのだ、と言っているわけです。

 面白いのは、もし、この「マツリ」が、導くべき巫女王(シャーマン)が不在で行われた場合は、エネルギーが捻じ曲げられた暗黒のマツリと化すという点です。

 ネタバレになるので詳しくは書きませんが、その昔、日本人のほとんどが浮かれて参加した実際の出来事の正体を「マツリ」と喝破したのは感心しました。

 確かにこの仮説ですと、日本人の特性をうまく説明出来るかもしれません。


 で、この話は最近ベストセラーになった某日本人論に続いていくわけですね。^^


(2010.Mar)








   

「けいおん!!ライブイベント  

 ライブに行けなかった人の繰り言

 先日、さいたまスーパーアリーナで行われた「けいおん!!ライブイベント〜Come with Me!!」。

 昨年の横浜アリーナでやった「けいおん!ライブイベント〜Let's go!」を見てから、今回の「Come with Me!!」も激しく行きたかったんだけど(笑)、
 まあ埼玉だとお金も時間もかかるし、チケットも超激高倍率だし。

 でも、もし近くでやってチケットも手に入ったとしても、オッサン一人で行く勇気もなかったので(実際は家族連れとか年配の人もいたみたいですけどね) 。
 結局行かなかったかなぁ?

 でも、未練がましく2chの過去スレとか数時間かけて読み漁ってましたけどね。(^ω^;)

 
 ちなみに、当日のセトリはこんな感じだったそうです。


セットリスト完全版

■オープニング
*1 GO! GO! MANIAC
*2 Listen!!

MC1 Talk「ごあいさつ」
*3 Oh My ギー太!!
*4 青春Vibration
*5 Drumming Shining My Life
*6 Diaryはフォルテシモ
*7 Over the Starlight

MC2 山田監督登場
  └「けいおん!」2011年12月3日公開
  └完全新作
  └在学中の話
  └佐藤「123はけいおん〜」
*8 ウキウキNew! My Way
*9 純情Bomber!!
10 Jump

MC3 「ある日の軽音部」1

■センターステージへ移動 
11 いちごパフェが止まらない
12 ときめきシュガー
13 Honey sweet tea time
14 ごはんはおかず

■メインステージに戻る 
15 Maddy Candy
  └真田「お前らが来るの待っていたー!!」
  └真田歯ギター
16 ラヴ

MC4 「ある日の軽音部」2

■生演奏
17 ぴゅあぴゅあはーと
18 U&I
■楽器なし
19 天使にふれたよ!
  └竹達抜き
■生演奏
20 ふわふわ時間(生演奏ソロ有り)

■アンコール1
21 NO, Thank You!
22 Utauyo!!MIRACLE

■アンコール2
23 Cagayake!GIRLS
24 Don't say "lazy"

■アンコール3
25 桜が丘女子高等学校校歌
  └全員で斉唱
  └伴奏 真田
■エンディング
26 Come with Me!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※スレッドに書かれていた内容などから面白そうなものを・・・


 これ、パンフレットのかき先生直筆イラスト。
 パンフだけでも欲し〜





 エンディングの後に紙吹雪が舞う、てのは最近の定番演出らしいですが、ただの紙吹雪ではなくて、こんな凝ったものだったそうです。







 開場前の物販に並ぶ列。
 8割方買えなかったとか。
 他のイベントでもそうですが、転売屋の暗躍がひどいみたいです。



 ムギのファンたちですが、はっきり言って僕もこういうのを見るとキモチワルイと思います。(^ω^;)








会場はこんな感じ。
会場の中央にリングみたいなものがありますが、実はセンターステージで、この時に最前列のAブロックが一瞬にして糞席に変わったとか(笑)。
(センターステージがあるということは秘密だったらしいです)









 ところで、このセンターで「ときめきシュガー」を歌った時に、バックバンドの演奏と日笠さんの歌がずれてしまうというアクシデントが起きたようです。

 どうやらファンの声援(というか掛け声)がバカでか過ぎてイヤホンからの音が聞こえなくなってしまった模様。
 自分たちの生演奏とか、あるいはセンターではなく通常ステージでしたらドラムとか他の楽器の音で調整できるんでしょうが、悪条件が重なりましたね。

 でもハプニングも含めてのライブです。
 プロだってもっとひどい事になったケースが多々ありますからね。

 実際聞いてみても(←どこで聞いた? (^ω^;)  )、演奏を中止するほどでもなく、まもなく持ち直しましたので、それほど気にする事はないと思いますよ。



 後、監督さんが直々にステージに登場して、映画の公開日を発表されたようです。

 内容は色々と取りざたされていましたが、在学中の、オリジナルストーリーになるようです。

 3年時の話は2クールでたっぷり取ったし、梓を出すということになると、自動的に2年生の時の話になると思うのですが?

 でも、3年時でも学園祭の後とから受験までの間は割と流して、原作エピも拾ってないので、意外とそのあたりの話もアリかもしれません。



 話は飛びますが、よく考えると「けいおん!」ていうのは一番映画に向いていない話のような気がするのですが・・・・・。

 今までの常識を打ち破って、延々と2時間、何も事件が起こらず他愛も無い日常を描く・・・・・だったら、それはそれで凄いと思います(笑)。


 ちなみに、映画公開日の話題で、2chで一番多かった感想が『監督、可愛い』でした(笑)。
 何か、しゃべり方とか歩き方が唯そっくりだったそうです。

 しかし、あの若さでTVシリーズを成功させちゃうんですから、やはり才能ある人なんでしょうね。
 

 
  で、「けいおん!!」見た事が無い人はわからんでしょうが、
 作中に、軽音部の先輩である「デスデビル」というヘビメタバンドが出てきまして。

 顧問のさわ子先生もメンバーなんですが、前回はさわ子先生だけの出演でした。
 今回はバンドとして出演というグレードアップ! 2曲も歌ったらしいです。




 そのメンバーのひとり、河口紀美の中の人の浅川悠さんという声優さんのブログが面白くてですね。

 ※一部抜粋。

 【本文】
 しかし
 いくら We are DEATH DEVIL!!!!
 おりゃああああ とかやっていても
 これはかわいこちゃんがたくさん出てくるけいおん!のイベントであり
 基本的にはアウェー
 同じ場所で待機していると カツアゲ対象者を溜まり場にさらってきた不良みたいな絵になる悲劇

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これは笑った。で、そのブログに載ってた写真。まあ、確かに(笑)。
     ↓


 ちなみに、「さらわれてきた」のは、右手前から、和、憂、純だと思います。多分。(^ω^;)




 とりあえず、今のところBDやDVDが出たら激しく見たい。
 もしかしたら、借金してでも買うかも。



●おまけ●
 主役の5人のブログです。
 みなさま、お疲れ様。

 愛生さんのブログ

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 聡美さんのブログ

 寿さんのブログ

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(2011.Feb)





   





短編作家としての小松左京  

 偉大な先駆者の死を悼んで


 2011年7月6日日本SF界に多大な貢献をされた小松左京氏が亡くなられました。
 ここに改めて、謹んでご冥福をお祈り致します。 (以下の文章では敬称を略させて頂きます)


 さて、自分自身もSFが好きで中学生の頃から小松左京を読み始め、かなり影響を受けました。

 たぶん大多数の人は小松左京というと、「日本沈没」とか「復活の日」などの長編小説のイメージが強いと思います。

 実際、そちらの方が有名で評価されているわけですが。

 でも僕は短編やショートショートからSFに入っていったクチなので、当然小松左京も短編集から入りました。

 ですので、どちらかというと短編の方に愛着があります。
 
 というか、長編は食わず嫌いをしていて、「日本沈没」でさえ大ブームが沈静化した数年後に古本屋から買って読んだような次第です。
(その頃からのヘソ曲がりで「ブーム」が嫌いだったというのもありますが)


 閑話休題。

 先に述べたように、小松左京は一般的に長編小説の方が評価されてますけど、作家としての真髄は短編小説にあると思っています。

 何しろ、彼の短編小説は、実に多彩です。

 その博覧強記ぶりを発揮して、あらゆるジャンルに渡り、これでもかと贅沢なアイディアを盛り込んだ短編はまさに濃厚極まりない味です。

 未来モノ、時間モノはもちろん、テクノロジー関係のハードなものから、ミステリー、ホラー、あまり品の良くない(笑)ドタバタ・コメディまであるのには改めて驚かされます。

 確かにSFではありますけれど、SFになじみの無い人でも何かひとつは楽しめる作品があるのではないでしょうか。

 僕自身としては、「くだんのはは」とか、「保護鳥」あたりのホラーテイストが割と好きです。

 「兇暴な口」というグロテスクな作品は、欲望を突き詰めていったら・・・というかなり強烈な話で、同じモチーフで筒井康隆が書いたらどうなるんだろうか?という興味が湧きます。

 他に印象に残っている作品として「地には平和を」がありますが、これなんか戦後焼跡派の面目躍如ですよねえ。

 僕は、小松左京と手塚治虫は敗戦の焼け野原を体験したことこそが、創作の原点であり、モチベーションだったと勝手に思っています。

 彼らの作品を読んでいくと、そうとしか思えないんですよ。
 あまり賛同者はいないでしょうが(笑)。

 さて、冗談抜きで、小松左京の短編集は面白いと思います。

 長編の“ハードさ”にしり込みしていた食わず嫌いの人も、ぜひ読んでみてください。
 過去の有名な短編集は今でも文庫版で入手可能かと思いますので。


(2011.July)




   

映画「けいおん!」レビュー  





観たら意外と出来が良かったのでレビューを書いてみる。


まず前置きとして、テレビ放送されたものを映画にする場合、どちらの側を向いて作るか、というのがある。

そのTVシリーズのファンだった人達を意識して作るのか、TVシリーズを見ていなくても大丈夫なように一般層向けに作るのか、ということである。

もちろん、通常は固定ファンも取り込みたいだろうし、興収を上げようとすれば一般層も取り込まなくてはいけないから、どちらかに極端に偏るということは無いだろう。


結論から言ってしまえば、この映画は明らかにTVシリーズからのファンを向いて作られている。


通常、多少は登場人物の紹介や背景など、それとなくストーリーに盛り込むものだが、それが一切無い。
それどころか、1期14話(TV未放送)にしか登場しないラブ・クライシスとか川上さんとかが何の説明も無く出て来る始末だ。


ただ、だからといって初見さんが楽しめないかというと、それはまた違うような気もする。

もともと、人物紹介しなければいけないような複雑な登場人物は一人もいないわけで、またそんな話でもないので、細かい点を気にする人でなければそれなりに楽しめるような気はする。
(気がするだけ)


内容的には、細かいネタ満載の、1期の雰囲気に似た作りになっている。

時系列的には2期23話から24話の間の話で、TVシリーズが駆け足で放送した内容の補完的なものである。



また、番外編(2期27話)の後日談としても成立している。(というか、27話が映画の前フリだったわけだが)

そういや、原作版の高校編最終回の最後のシーンもしっかりフォローしていたりして。


そして、これが一番大事だが、映画といっても大事件が起きるわけでもなく(海外旅行へは行くが)、TVシリーズのノリそのままであるということだ。

実は僕はこれを一番評価したい。




例えば、TVで人気があった作品を映画化すると、ややもすれば無理にスケールを大きくしようとして失敗する例が少なくない。

日本では、未だ制作側でも観客側でも『映画=壮大な話にしなければいけない』という強迫観念に囚われている人が多いのかもしれない。

だが、制作スタッフは、この作品のどこが人気だったのか、というのをきちんと理解して作っている。
だからこそTVシリーズからのファンにも好意的に迎えられたのだろう。


ネタバレになるが、予告で大きく「ロンドンに行く!」と煽ってはいるが、これもTVシリーズでお得意だった『予告詐欺(ミスリード)』で、主題は別にある。

この作品については、物語の構造そのものが「何か特別なもの」を探しに行ったロンドンで「いつもの私たち」の価値を再発見してそれが帰国後の展開に繋がってくるという構造になっている。


ロンドンに行くというイベントが、日常のダシに使われている訳で、だからこそロンドンで変に盛り上がったりしてはいけないのである。

監督も「敢えて映画的な盛り上がりを抑えた」みたいなことをインタビューで答えていた、というのを読んで、ああやはりな、と納得した。



すなわち、「いつも通りのけいおん」こそがこの映画の主題だったのである。

それについてひとつ例を挙げれば、唯の『スケールのでかい曲を作ろうと思ったけど結局はいつもどおりの曲が一番いい』というセリフの場面でこの映画の主題を暗示させている。

彼女らにとって何が起きようが、必ず普段の、いつもの高校生活へ収束しなければいけないのだ。

なぜなら、「けいおん!」の最大の魅力が『何も無い普段の高校生活の日常』なのだから。



「特殊な出来事が多発する高校生活」なんて、ドラマツルギーとしては正しいが、一方で「何も無い高校生活」こそが当たり前なのだという事を、誰もがみんなわかっている。

だから同世代の人間はリアルタイムで共感し、上の世代は自分の高校時代を懐かしく思い出し共感する。

「けいおん!」のファン層が幅広い理由がここにある。










(おまけ)

その他の画像



飛行機内から見るロンドン上空の朝焼け




映画の名シーン、「教室ライヴ」




その他の雑感

その1
クラスメートたちも結構台詞が多かったりして。わかってらっしゃる。
でも、全員ちゃんと名前があるので最後のクレジットは「クラスメート」表記じゃなくて役名を表記して欲しかったな。


その2
ストーリー上から考えたら、ロンドンじゃなくて国内でもかまわなかったような気もするが、やはり営業関係の意志が働いたのだろうか(笑)。
単にスタッフがロンドンにロケハン行きたかっただけだったりして。(^ω^;)
でも、ロンドンの風景の再現ぶりはさすがでしたよ、京アニさん。
行ったことないけど。



(2012.January)



   

映画「ALWAYS 三丁目の夕日’64」レビュー  



さて、三作目である。

シリーズ物は作を追うごとにダメになるケースが多いが、これはどうか。

前作がアレだっただけに若干の心配はあったが、結論から先に言えば杞憂であった。

もちろんインパクトは一作目にかなう訳は無いのだが、人情映画としてきちんとまとまりのある良い出来に仕上がっていた。

二作目のあのグダグダ感は一体何だったのか、という話にもなるが、恐らくあれは時間が無かったゆえに脚本が錬り込まれていなかったのが原因であろう。
実際、二作目は予定が無く、急遽決まったとの話を聞く。


で、今回はオリジナルストーリーとしたことも、結果的に良かったのではないかと思う。

原作の良い話をたくさん詰め込みたい、というのはわかる。
だが、その場合は余程うまくやらないと(一作目が、その奇跡をやってのけたということ)、二作目のようにグダグダになってしまう。

原作の雰囲気を壊さない程度にオリジナルストーリーを展開したおかげで、細かいエピソードを入れているにも関わらず、話に芯が通ってすっきりわかりやすくなっている。

いっそのこと、二作目は黒歴史として無かったことにすれば、とも思うのだが(笑)。

実際、見ればわかるが三作目は一作目の内容をを踏襲しているところがあるので、一作目⇒三作目と見ても特に違和感は無いと思う。

いきなり茶川さんがヒロミとくっついていて、びっくりするかもしれないが、それは映画の冒頭で
『あれから6年。3丁目の人々は・・・・・』
などとナレーションを入れれば無問題。


もちろん、展開がベタである、綺麗事すぎる、あの時代は悪いところもたくさんあった、etcなどの批判も、いわゆる「映画通」のみなさんから寄せられている。

だが、それらは頭の悪さからくるピントはずれの意見にしか聞こえない。

これは娯楽映画である。
娯楽映画は基本的にはベタな展開でなければ楽しめない。

宅間先生と菊池先生が偶然知り合いだったり、悪人のように見えた人が実は良い人だったり、見てる側からすれば「そうだろうな」と予想した展開通りになる予定調和こそ、娯楽映画の王道。

後味の悪い話の展開など娯楽映画にとって誰得であろうか。

そもそも、この映画は『あの頃は良かった』などと一言も言っていない。
人間関係も含めて、ありのままに再現しているだけである。

それを見て、『あの頃は良かった』などと思うのは、もちろん個人の勝手ではあるが。




あと、3Dに関してであるが、僕は2Dで鑑賞したが別に3Dである必要性は感じられなかった。

冒頭の東京タワーのシーンなど、
「ああ、これは3D用の場面だな」
と思ったシーンが数か所あったが、2Dだからダメというものでもない。

まあ監督は基本、特撮の人だから新技術を使いたくてしょうがなかったのかもしれないが(笑)。


とりあえず見て損は無い映画だと思います。

まだ上映しているところも多いと思いますので、心が荒んで疲れている人には一服の清涼剤になるのでは、と。




最後に、ひとつ気になったのが、お産のシーンで、生まれたばかりの赤ちゃんがそれらしくなかった事。
生まれたばかりの赤ちゃんて、サルみたいだよね。

あのシーンだと、ちゃんと人間の顔をしてたし。

本物の生まれたばかりの赤ちゃんを使うわけにはいかない、というはわかるが、なら、それこそCGを使って・・・
いや、今の技術だとまだ無理があるか。(^ω^;)

あと、相変わらず吉岡秀隆はダメ男の役が上手かったですw





(2012.March)





   

【追悼】レイ・ブラッドベリ  

レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)氏が、さる6月5日、ロサンゼルスで逝去されました。
享年91歳。

あまりに有名なこの作家については、それこそ著名人があらゆる言葉を使って語り尽くしている感があるので、いまさら素人が何を書こうがその二番(三番、四番?)煎じになってしまいます。

だけれども、ただの一ファンとして個人的な感想なら許されるとも思い、ここに記してみたいと思います。



ブラッドベリの作風について雑感など・・・

ブラッドベリの作品のイメージとして、陳腐極まりない言い方ですが、「詩的で叙情豊かな作風」を上げる人は多いです。
これはまさに日本人好みです。

日本でのファンが多いのも頷けますが、豈はからんや、アメリカでも結構売れている人気作家でもあります。
恐らく郷愁をそそる物語は、万国共通に好まれるのでしょうね。

彼の作品には、よく題材として、カーニバル、遊園地、魔法使いなどが登場します。
また、未来を語る時でも、昔から人間が持っている「闇」や「恐れ」の部分を忘れる事はありませんでした。

これは人間が子供の頃に必ず持っていた、ある種太古から受け継がれていた本能のようなものを大人になってからも忘れずにいた、という事ではないでしょうか。

そこから導くならば、ブラッドベリはSF作家というよりは、ポーとかラブクラフトの幻想小説の系譜にあると思っています。

もちろん、広義でのSF作家と言って間違いはないのですが、SF特有の敷居の高さというか、とっつきにくさをあまり感じません。
なので、SFは苦手という一般の人にとってもお薦めしやすい作家ということは言えます。

実際、SFを知らない人に何か面白い作品はないかと聞かれた場合、僕はいまだにブラッドベリとフレドリック・ブラウンを薦める事にしています。
短編が多いという事もありますが、やはりとっつきやすいんですね。

SFとはいっても、
ニューウェーブのように難解な世界観も無い。
スペースオペラのような荒唐無稽さも無い。
ハードSFのように科学的な難解さも無い。

ご理解頂けますでしょうか?


ただ、訳者の小笠原豊樹さんが、昔雑誌の対談で言ってましたが、ブラッドベリの文体はとっつきやすい文体に見えるが訳すのは難しいと。
技術的にはかなり訳すのが難しい作家の部類だそうです。

具体的に言うと、同義語が非常に多いそうですね。

例えば「走る」という表現でも同じ作品中にあらゆる言い回しを使って表現しているそうです。
なので、しまいには当てはまる日本語訳が無くなってしまい、四苦八苦するのだとか。

マニアの中にはブラッドベリは原書で文体を味わわなければ本当の良さはわからない、と言ってくる人もいますが、いや、日本語訳でも十分素晴らしいですよ。

日本の翻訳者は優秀ですので(笑)。

もし、一度も読んだ事の無い人は、この機会にぜひ短編集を一冊手にしてみてください。
センチメンタリズムにあふれた豊潤な作品群は、どことなく懐かしい気持ちにさせてくれる事でしょう。



まだ読んだ事の無い方へ・・・

個人的に、初心者向けにはこの辺りの短編集をオススメします。

・「火星年代記」
長編扱いされてますが、オムニバス短編集です。古臭いようで、そうでもない不思議な味わい。
何というかね、もう、感動しますよ(笑)。

・「10月はたそがれの国」
粒ぞろいの短編集。
「小さな殺人者」に代表されるように、幻想的でホラーテイストが強いです。

・「ウは宇宙船のウ」
映画にもなった「霧笛」は切なすぎて泣けてきます。

・「とうに夜半を過ぎて」
「いつ果てるとも知れない春の日」、「ジェイミーの奇跡」は傑作。


すべての作品に、ブラッドベリのエッセンスである、センチメンタルとプチホラーが満載です。
興味が湧いてきましたらどうぞ。



(2012.June)



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